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最初はアフェリエイト目的につくったが、興味ないことは書けないため、まったりとその時残しておきたいと思ったことを記しておきます。
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TV関ジャニ∞の仕分けなんちゃれ言う番組で、太鼓の達人に武器屋桃太郎という人が出てた。
ヤバイっす。
モロ俺の好き路線!
つーか、俺の知っているあの子に似てるから好きなんだろう。

久しぶりにはまれるアイドル見つけた。
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「働く」という考えが欠落している。
「働く」=「他の人と関わる作業」という認識が強い。
今の私は「理解のある人」以外のいる場所で、心を乱さずに働けるかわからず、恐怖を感じているから。

以前はトラックドライバーとして働いていた時もある。
デスクワーク等の類と比べ、人の近くで作業することが少ないため、ある程度落ち着いた状態で働けていた。
私の気にしている事に関し、嫌な発言、嫌な対応をされることはあったが、トラックで移動しているときは一人だったので、気に病む時間が少なかったのが続いた理由。

「誠意ある対応を心がけ行っていればわかってくれる」

そう思い、日々誠意ある自分でいようと心がけていた。
が、もともとイライラしやすい性格で、発散がうまくできない人だったので、ストレスが少しづつ溜まっていった。
その溜まったストレスは、「爆発」するか、「沈み込む」かどちらかの結果に今までなってきた。
その事が有り、どちらに転んでも「終」を迎えてしまう。

私の気にしていることが今この瞬間解決しても、年齢的な面を見ても、「社会に出て働く」事は難しいだろう。
さて、どうやってこの世の中で生きていくことができるのだろうか。

考えても答えは出ない。
真剣に考えていないのだろうか。

今の私はただただ時間が通り過ぎるのを見送るだけなのだろう。

「目標」
それを俺は見失っていた。
しかし、最近それに近いものをおぼろげ思い描くことができるようになった。
「希望」

これに気がつくきっかけになったのは、ここ最近はまってやっていたラノベが多大に影響している。

心に響く作品を今までにある程度触ってきたが、今回ほど自分の中でしっくりとくるものはなかった。
ようやく俺の中で「心の置き所」が定まった。

私が探求しようとしているものは全ての人の「心の置き所」に関すること。
私の中の解釈では、俗に言う「宗教」というものに似たものだと思う。

私が人間不信なのは、人と話している時に「違和感」を感じることがあるから。
見せかけだけの「いい人」はわかってしまうから。
そしてその「偽善」を感じてしまうから、人を信用しなくなる。
この考え方が私の「主幹」

私は宗教をしている人は、
「心の主幹が定まっており、相手に対する配慮のある人」
という解釈をしている。
あくまでも基準は「今の私」

今まで関わったことのある宗教を信仰している人は、ほぼ全員が上記の解釈から見たときに「違和感」を感じさせる人であったため、「宗教」というものを私は信用しようと思えないのだ。
また、彼らが他の宗教を否定する事も信用しない理由の一つ。

私の考えでは、彼らの求める根幹は同一だと思っている。
そこに至るまでの道筋が違っているだけなのに、何故否定するのだろうか。
もっと柔軟に対応できないのだろうか。
私にはそこが理解できない。

んー、文章まとまってないねぇ。
集中力切れたっぽいので、今回はだらだら文章のまま終わっときます。

このジョブなのかスキルなのかは明確にはできないものを得るには様々な経験が必要である。

俺にとって「メンヘラ」は「スキル」だと思っている。
全ての人は、そこに至る前段階の「妄想」は持ち得ている。
「数多の妄想」を経ることで真の「メンヘラ」へと開花する。

俺の「メンヘラ」スキルはかなりの期間使用されている。
しかし、レベルは期間とは見合わない程おそらく低い。

このスキルは非常に取り扱いが難しい。
自己を維持したまま経験を積むことが非常に難しい。
容易に「暴走」し、「終焉」を迎えてしまう。
そう、一人では非常に困難なのだ。

ただ、これまた困った事で、「メンヘラ」スキルを持ち得るものは、「人間不信」になっている人が多いと思う。
そしてその結果孤立し、解決できずに崩壊し、終焉を迎えるのだろう。

ここ最近のニュースを見ていると、そのことを痛感する。

最近ではボストンで起きた兄弟のテロ行為。
世間では「失敗組」になってしまって~~等言われているが、俺は彼らが起こしてしまった事を理解することができる。
「そうなってしまっても仕方ないよな」と素直に感じた。
それは彼らの周りの環境=社会が、彼らを差別=排除してしまった結果起こってしまった事。
そして感謝している。
「俺がこの今の気持ちに至る事が出来たのは君たちのおかげだ」 と。

数年前に遡るが、秋葉原のホコ天にトラックで突っ込み、ナイフで演舞してしまった彼。
俺もその当時はかなりやばかった。が、彼の行動を見ることで、「やばい。俺もこうなってしまう」と感じたため、止まることができた。
彼の行為は褒められることではない。が、理解し、俺は感謝する。「俺を止めてくれてありがとう」と。

上であげた「ボストン、秋葉原」での彼らが起こしてしまった行為は褒められることではないが理解し感謝する。
そして彼らが至った結果に対し、敢えて言おう。「君らは戦いに敗れてしまったが、無駄死にではない!」と。

少しでも彼らの心に「灯火」が灯ることを願う。


追記:

最後の一行を書いたとき、激しく嗚咽を伴う涙を流した。
それは、俺が彼らの事を「理解」できるために彼らの寂しさを理解してしまったから。
だからまた敢えて言う。「無駄死にではない!」と。
そう、彼らは「同志」のためにその人生を用いて「特攻」をしてくれたのだ。
彼らが「生還」することを切に願う。

昔の俺は今の俺からしても「独創的」だったと思う。

当時の本人は「感じたままにその事を言葉に表していた」だけだったので、「普通のこと」だった。

俺が社会人になった頃、友達との何気ない会話でその時代の話題になった。
「はなげ」という言葉に関する話題。

「はなげ」は「鼻毛」。

当時の俺は、いっけんなんでもない「はなげ」という言葉が表す意味に無限の意味合いを感じ、使っていた。と思う。
そしてその「はなげ」の意味を友達の親にせつせつと簡潔な言葉で説明したらしい。
それを聞いた「友達の親」はその事を理解し、「すごい」と思ったらしい。

その事を友達から聞いた。
確かにそんなことを言った記憶はある。が、詳細忘れていた。
意味を明確に思い出すことが今の俺にはできなかった。

そのことを感じた俺は思う。
「当時の俺の思想に戻りたい」と。
当時持ち得た「独創的な世界」を取り戻したい。

いつの間にかジョブチェンジをして失われてしまった「厨二病スキル」をもう一度取り戻したい。

今気がついた。
ラノベがたまらなく好きな今の俺は、その独創的な世界を体験、感化されることでその時の感覚を取り戻そうとしているのだろう。